消えゆくしかないSEALDs
私は産経新聞グループの『iRONNA』というオピニオンサイトで特別編集長を務めており、記事にするためシールズに対談を申し込みましたが、多忙を理由に断られました。
しかし、その直後のシールズ公式ツイッターには、「取材依頼、イベント等の依頼等も是非是非ご連絡いただければと思います」との投稿がありました。自分たちと異なる価値観を一切受け入れない姿勢の表われに思えてなりません。
SEALDsというのはしょせんその程度の集団だということです。とっくに分かっていることですが。
報道やチシキジンが変にSEALDsを持ち上げるため、あれが学生たちの大きな潮流である(あった)かのように勘違いしてしまっている人が多いと思いますが、実際には学生の大部分はあれを冷ややかなまなざしで眺めているようです。また、国会前デモはああいう若者たちが大半であると思ってしまっている人も多いようですけれども、現場へ行ってみると、学生運動の夢よもう一度とばかりに集まる団塊世代など老人がほとんどで、SEALDsなど若年層はその一部を占めているにすぎない、と聞きます。そう、SEALDsなんて実際は少数集団なのです。
その上、SEALDsは外部との接触を断ってしまっています。代表的メンバーなどが口先では「批判してもらっても大いに結構。議論するのは大事なこと」などときれいなことを言っていながら、実際はどうかといえば、自分たちに都合の悪い話には耳をふさいで「あーあー、聞こえないー」とやっているのが、彼らの滑稽な姿です。
今年の「新語・流行語大賞」には「SEALDs」もノミネートされました。私はぜひとも大賞を「SEALDs」にと期待していました。というのも、あの賞を取ったものが翌年以降も流行し続けた例を私は聞いたことがないからです。結果として大賞は逃しましたが、トップテンに入賞したようですね。おめでとうございます。
しかし、このまま対話を拒否し続け、独善的な主張を叫ぶだけであれば、いずれ運動はしぼみ、かつての学生運動と同じ道を歩んでしまうのではないでしょうか。
梅が咲く頃には、もう誰もSEALDsなんて覚えていないでしょう。ご愁傷さま。