テクスト: 諸田玲子『今ひとたびの、和泉式部』 東京、集英社、2019年。初刊は同社、2017年。初出は『小説すばる』2016年1-10月号。

〔2020年1月4日(土)読了〕

あらざらむこの世のほかのおもひいでにいまひとたびの逢ふこともがな
もう生きながらえないようなこの世から、永遠のあの世への思い出に、今ひとたびあなたに逢うことができたら。
[和泉式部]

私の通った高校では、3年次に週2コマ、選択ゼミという時間があった。ふだんの授業からちょっとそれた所でいささか深く掘り下げていこうという、受験対策と趣味講座を合わせたような少人数制の授業で、個性的な科目が多く取りそろえられていた。私が履修したのは「英語長文読解」と「古典演習」だったが、いずれも受験対策を考えて選んだものだ。

この「古典演習」というのがなかなかおもしろい科目だった。受講者は私を含めて4、5人だったと思う。中身はほとんど担当教員の趣味であったといってよい。何せ、最初のテキストは清少納言『枕草子』第九十九段「五月の御精進のほど」であった。おそらく高校古文の教科書でこの段を載せているものはないと思うが、「清少納言、お前はアホか」と笑いたくなる馬鹿馬鹿しくてくだらない話だ。少なくとも教科書で定番の「海月のななり」などという下手なジョークよりよほどおもしろい喜劇である。

さて、この古典演習のゼミでは、扱うテキストについて最初に生徒の一人が調べてきて発表することになっており、従って「五月の御精進のほど」での授業の第1回目は、担当の生徒による『枕草子』についての発表であったのだが、確かその次に扱ったテキスト、2つ目の題材となったのが『和泉式部日記』で、発表者として当てられたのが私だった。

「え? ぼくですか? 和泉式部って言われても『百人一首』の和歌しか知らないんですけど」

「おお、だったら何も知らない状態で調べてこいや」

それが和泉式部との出遇いとなった。

ということで、翌日から私にしては珍しく学校の図書室通いをすることになったのだけれど、調べてみれば面食らうことばかりだった。恋多き女、和泉式部の当時の評判たるや、藤原道長からは「浮かれ女」と言われ、紫式部には「和泉式部といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ」と書かれるありさまだ。要は、歌を詠むのはめちゃくちゃうまいけど尻軽女やないかい、ということである。

下級貴族の人妻でありながらあろうことか皇子と不倫関係になり、その後はその弟と関係を持ち、皇族の兄弟をナントカ兄弟にしてしまったのである。魔性の女というのとは違うかもしれないが、まあ小悪魔的な人ではあったのかもしれない。

ゼミでの発表の日、私は、平安時代の価値観などはさておき、あえてこういう言い方をした:「彼女は恋多き女ではありましたけど、愛した男たちと次々に死別するという目に遭っていたわけで、かわいそうな人だったと思います」─。

前置きが長くなったが、高校3年のゼミから長い年月を経て、私は和泉式部に再会することになった。今ひとたびの、和泉式部。

本作は、江侍従(大江匡子)を一人称の語り手として、亡き和泉式部を偲ぶという物語仕立てである。江侍従なる人物のことは全く知らなかったが実在の女性で、大江匡衡と赤染衛門の娘であり、藤原兼房の妻であるという。いかにも目立たない地味な下級貴族の女性を語り手に持ってきているが、これにはちゃんと意味がある。

出自はよいのに人望がないため出世がとどこっている夫[兼房]だが、歌人としては一目おかれていた。自作の評判もさることながら古今の歌集への造詣は余人の追随をゆるさない。‥‥和泉式部の歌集についても夫は全首をそらんじていて、思い入れも半端ではなかった。

[11頁]

兼房が実際に和泉式部の和歌をすべてそらんじていたのかどうかは分からないが、そうであっても何らおかしくない立ち位置の人物である。

江侍従が和泉式部の面影を追ってゆくと、ぽつりぽつりと謎が浮かび上がってくる。本作は単なる時代小説ではなく、ミステリーとしての側面もあるようだ。そうしてやがて江侍従は和泉式部の人生の究極の秘密へと迫ってゆくが──。

本作は、実在の人物たちを描いているとはいえ、やはりフィクションである。しかしながら、実際の和泉式部の人生はこうだったのではないかという気が強くしてくる。彼女を「かわいそうな人」と思った高校時代の私は、たぶん間違っていた。

久しぶりにすばらしい一冊に出遇えた。これは繰り返し読みたい。

人の身も恋にはかへつ夏虫のあらはに燃ゆと見えぬばかりぞ
人としての身も恋と引き換えにした。夏の虫のようにはっきりと火に燃えるのが見えないだけでね、恋の火に燃えているわたしよ。
[『後拾遺和歌集』より、和泉式部]