五厘の可能性には賭けられない
安倍首相は米国のトランプ大統領ら先進7か国(G7)の首脳とテレビ会議を行った後、首相官邸で記者団に、2020年東京五輪・パラリンピックについて「人類が新型コロナウイルスに打ち勝つ証しとして、完全な形で実現することについてG7の支持を得た」と述べた。記者団から五輪の開催時期を問われたが、言及は避けた。
[「安倍首相「五輪の完全実現へ…G7の支持得た」」 << 「読売新聞オンライン」]
「記者団から[東京]五輪の開催時期を問われたが、言及は避けた」とのことですので、延期の可能性は含ませていると考えてよいのでしょう。文字通りにとらえれば「完全な形で実現する」ためなら延期等の措置をとり得るということでしょうね。
G7の支持を取り付けることは間違っていませんが、方向性を間違ってはいけません。G7首脳は、いくら支持したとはいえ、もし東京五輪を予定通りの時期に決行して大失敗に終わってしまった場合に、共同で責任を負ってくれるわけではありません。そういうの、日本はクルーズ船で懲りているはずです。
現実問題として、どこの国も満足に予選会すらできない状態なのですから、今から4カ月後に五輪を開催するのは無理な話です。強行すれば、モスクワ五輪やロサンゼルス五輪よりも参加国が少なくなるのではないでしょうか。
従って、G7の支持を取り付ける案件としては〈五輪の延期〉という方向になるわけですが、ある意味で敗北主義的ともいえるその方針は、やはり政治家にとって屈辱的なのでしょうね。だから、五輪を「完全な形で実現する」(ために延期を含めた措置の可能性を排除しない)という形に持っていったのではないでしょうか。何だか戦時中に「撤退」を「転進」と言い替え、「終戦の詔書」で「敗戦」の言葉を避けて「戦局必スシモ好転セス」としたような話を思い出したりもしますけど、まあ、方向が〈五輪の延期〉であるとすればそのポイント自体は悪いことではないと思います。
とにかく、延期なら延期で、さっさと決断すべきです。なにより選手たちの調整に関わることです。
といったところで、今日もしっかり手洗い励行で。