『あきんど姫様』
テクスト: 若月ヒカル『あきんど姫様』 東京、宝島社、2015年。
〔2016年2月23日(火)読了〕
喜劇風味の時代小説だと思ったら、読み始めてしばらくして違和感を覚えた。おかしい。どうも様子がおかしい。もしかすると──
これ、ひょっとしてラノベってやつなんじゃないの?
20ページも読むと、それは確信に変わった。
やべえ、これって間違いなくラノベだよ。ガチガチのラノベだよ。ラノベならラノベらしく萌え画でも描いてそれっぽい表紙にしておけよな。詐欺じゃねえか。宝島社め、ふざけやがって。てか、こういうのはコバルトから「なんて素敵にコンチキチン」とかいうタイトルで出せよ。
しかし、読むのをやめるわけにはいかなかった。やめられたかった。止まらなかった。
おもしろいのである。とにかく次へ次へと読み進めずにはいられないのだ。
舞台は江戸時代の京都。桜子は当年をもって17歳、鳥羽天皇の血を引く名家たる二条院家の姫である。
貴族が贅沢に暮らしていたのは奈良・平安の世の話で、江戸時代の公家とくれば貧乏だ。しかるべき役に就いていなければ、蔵米だけではまともに暮らせない。桜子の父は前年死去し、母は歌会三昧、兄は蹴鞠に現を抜かして役に就く気がない。二条院家の収入は30石2人扶持の蔵米だけである。これは現代の金銭価値で年収200万円程度にしかならない。年収200万円で、家族3人と仕え2人の計5人が暮らし、かつ、公家としての体裁を維持しなければならないのである。
無理に決まっている。桜子は、お上りさんに売る土産の和歌短冊を書く内職をしているが、そんなもので賄いきれるものではない。当然、二条院家の借金は増えるばかりである。その総額、わずか1年で、利子を含めて120両。これは同家の4年分の蔵米収入に相当する。しかも、そのうち60両はやくざの親分から借りてしまっていて、これを早々に返済しなければ桜子が島原に売られることに。
崖っぷちの桜子は、あろうことか、それならば商人になって稼ごうと思い立つ。
桜子は、諸法度[禁中並公家諸法度の写し]を広げた。
わずか十七条の法度なので、すぐに読み終わる。
天子は学問をしろ、公家は和歌に励めとあるが、公家が商取引をしてはいけないとは書いていない。
ほんとうに、一行たりとも書いていないのである。
そりゃまあ、そんなこと書いてあるわけがないわな。
商人になろうと一念発起した、世間知らずの公家姫、その先はいかに?
対象読者を中学1年生に設定しているとしか思えないような、どうしようもなくヘボな文章だが、発想のおもしろさ、物語の巧みな絡まりと疾走感は、それを補って余りある。どこもかしこもツッコミどころだらけだが、こういう本に、時代考証がろくにできていないなどとけちを付けるのは野暮というものである。それこそ桜子から派手な抑揚を付けて「さすが、すいというものがよう分かってあらしゃりますなぁ」となどと言われてしまうだろう。
小説というものが本来与えてくれるべきものを与えてくれる、そんな一冊だ。子供の時分に本を読み始めた頃のあのワクワク感を思い出させてくれる、最初から最後までおもしろくてたまらない本だ。