テクスト: 湊かなえ『境遇』 東京、双葉社、2015年。初刊は同社、2011年。

〔2016年3月9日(水)読了〕

引き込まれる、というより、吸い取られる作品である。ページを窓口にして向こう側の世界が私を引き込むのではなく、ページが広がって私全体を包み周囲から吸い取るような、そんな一冊だ。いや、この比喩もうまくはない。とにかくこういう読後感は初めてで、うまく表現できない。

息子のために描いた絵本『あおぞらリボン』がベストセラーとなった陽子は、県議会議員の妻である。親友の晴美は新聞記者だ。二人には、実の親が分からず児童養護施設にいたという過去、すなわち「境遇」という共通項がある。

陽子の夫の事務所が県議選を控えて慌ただしいさなか、ファクスで脅迫状が送られてくる:「ムスコハ アズカッタ ブジ カエシテホシケレバ セケンニ シンジツヲ コウヒョウシロ」─。息子が誘拐されたのだ。陽子は晴美に助けを求める。

それにしても──真実を公表しろと言われても、「真実」というのが何のことか分からない。そうこうしているうちに次の脅迫状が──。

人間の心なんてものは、きれいごとで語ることはできない。そんなことを読者は終盤に突き付けられるだろう。

全然知らなかったが、本作は5年前にテレビドラマ化されていたらしい。というより、解説によると、テレビ化を前提に書き下ろされた小説だったようだ。そのテレビドラマのキャスティングを見るに、何ともまあ主役から脇役まで見事なはまり具合で、これは今からでも見てみたいという気になる。

それはさておき、冒頭にも述べたように、読者を周りから包んで吸い取ってしまうような世界を創り上げる、湊氏の筆致に感嘆しきりだ。この描写がすばらしい、と思う箇所が特にあるとも感じない。ミステリー仕立てとはいえ、謎解きされてみればさほど凝った作りのものでもない。にもかかわらず、まさしくページすべての行間に言い知れぬ力が宿っていて、読者に取りついてくるのである。