日本統治時代の朝鮮、京城(現ソウル)の南大門通り

日本はかつて明治時代に、ロシアがシベリアから南下してくるのを警戒し、国防上の観点から、海の向こうの地を強い支配下に置くようになったことがある。兵そして入植者をせっせと送り込み、ほとんど未開であったその地の開発を推し進めて〈日本化〉を図った。

もともと現地には一般向けのまともな学校教育がなかったが、やがて日本はその各地に学校を建てて初等中等教育を施していった。もっとも、教育現場で用いられた言語は、現地人の子供たちに対しても現地語ではなく日本語だった。高等教育も進み、時代が大正に入ると帝国大学がその地に設置されるに至る。

その地の近代化は驚異的な速さで進められ、昭和初期にはもう市街地の街並みは一見すると東京や大阪と変わらないほどになった。街には当たり前のように日本語が飛び交い、さらに現地人たちも日本風の氏名を持つことになっていたため、もはやここが日本の一部であることを疑う者などなかった。

──と、ここまで来て、私がいずれの地のことを書いているか分かっただろうか。恐らく勘のいい一部の人は気づいてニヤリとしたかもしれないが、大方は罠にはまっていることだろう。

その地とは、そう、北海道である。嘘ではない。最初から読み返してみるとよい。まあ、わざと北海道とも朝鮮とも取れるような文章を書き、かつ、写真をちょいと添えることで誘導してみたのだが。

李氏朝鮮時代の南大門周辺

実際のところ、日本が北海道に対して行ったことと朝鮮に対して行ったことは、大雑把にいえば同じようなものである。いや、朝鮮のほうがむしろ破格の優遇を受けていたと言っていいだろう。日本は朝鮮でひどい仕打ちばかりして、朝鮮の人々はみなすさまじくつらい目に遭っていた、という嘘をある方面の人々は信じ込んでいる(あるいは信じ込まされている)ようだけれども、現地の人々の暮らしぶりが李氏朝鮮時代に比べればとてつもなく改善されたのは事実である。

そんな北海道と朝鮮は、第2次大戦の終戦によって全く別々の形になってゆく。

ポツダム宣言に従い、北海道は「本土」の一部として、日本の領土として残された。北海道をよこせというソ連の要求をアメリカは蹴り、ならばせめて北半分をよこせという要求もアメリカは蹴った。おかげで北海道は順当に日本の一部であり続け、和人が追い出されたりロシア人の入植地になったりすることもなく現在に至っている。

一方の朝鮮は、ポツダム宣言に従い日本から切り離された。何やかんやとあって南北朝鮮それぞれが独立することになり、南の韓国の頭にアメリカが据えたのが、あろうことか上海臨時政府から半島に舞い戻ってきた李承晩であった。上海臨時政府といえば名前はかっこいいが、これまたちょっと調べてみれば正体は簡単に分かる。李承晩政権とは、たとえていうなら、日本が無政府状態になった時に国連が「よど号」ハイジャック犯を連れてきて元首に据えたに等しい代物であった。

その後のことはよく知られている通りだ。バリバリ反日の李承晩は道理もへったくれもなく、サンフランシスコ平和条約発効直前の空白期に日本から竹島を掠め盗り、日韓請求権協定で日本から多額の金を巻き上げ(戦後補償に当てると言っておきながら実際はほぼすべて開発に注ぎ込んだ)、学校ではこれでもかこれでもかとあることないこと書きまくっている「正しい歴史認識」に基づく歴史教科書という名の小説本で反日教育(というか反日洗脳)を推し進めた。その後の政権もみなこれを継承し、ある時期までは日本語の歌が放送禁止になっていたりとか、そんなことを続けてきた結果、ひたすら反日国民の再生産が続き、あの国はあんなふうになってしまっている。韓国で日本統治時代を知る高齢者がうっかり「日本時代は良かった」なんて本音を言うと、若造に殴り殺されたりするので、迂闊なことは大っぴらに口にできない。もはやさながら反日を国教とする一大狂信国家であり、兄弟分の北の国と根本は変わらない。

話が脱線しそうなので元に戻そう。要するに、日本が北海道に対してやったことも朝鮮に対してやったことも、基本的には同じで、むしろ朝鮮のほうが明らかに優遇されていたということである。

しかるに、浄土真宗の一部の僧侶・門徒たちの言いぐさはどんなふうであるか。

北海道については、特にわが真宗大谷派の場合はその歴史的経緯からせっせと入植者たちへの布教を進め、アイヌの人々にも聞法の場を開いたし、今や北海道は一大教線となっているため、開拓のことを決して悪くは言わない。わが宗門は新天地でも率先して教化活動をしてきた、和人もアイヌも分け隔てなく同朋となったのだと、鼻高々で語り、多くのアイヌたちがとても苦しい目に遭ってきた歴史など口にしない(というか恐らく知らない)。

ところが、朝鮮の話になるととたんに態度が変わる。かつて朝鮮に東本願寺別院があったことなどまるで黒歴史のように隠して、「にっぽんは、ちょうせんをしんりゃくした、とてもわるいくにです。いつまでもあやまりましょう」となってしまう。一体これはどういうことなのか。わが宗門は朝鮮でも率先して教化活動をしてきた、日本人も朝鮮人も分け隔てなく同朋となったのだと、なぜ言えないのか。

これはもう〈すえとおらぬ小慈悲〉とさえ言いがたい、それ未満の極めて低い次元のことだ。はっきりいうが、聞法がどうのこうのという以前の問題だ。

私は毎年この日、8月15日にこの「真宗門徒が世界平和を願うということ」というテーマの文章を公開しているが、それは、奇しくも先年この日に法友が亡くなったことがきっかけである。彼は、いってみれば左寄りの人であって「真宗大谷派・九条の会」にも名を連ねていたが、ある時私がこの問題を提起したところ、驚くべきことに彼もすでにこの問題に気づいていたのだった。すなわち、なぜ北海道にやったのは良いことで、朝鮮にやったのは悪いことになるのか、と。そのこと一つだけでも、彼は法友として信頼を置いてよい人間であった。

なお、誤解のないように最後に付け加えておきたい。私は別に、北海道についても朝鮮と同じように評価せよとか、あるいは朝鮮についても北海道と同じように評価せよとか、そういう馬鹿みたいに単純なことを言いたいのではない。そんな話ならあえて真宗を絡める必要などない。あくまでも、この件を一つの手がかりとして、真宗門徒が世界平和を願うということについての根本的なところを確認したいし、確認してもらいたいのである。すなわち、あなたが願っているという世界平和とやらが、いかに嘘臭いものであるかを。