名前を忘れるという支援
2年前から行方が分からなくなっていた女子中学生が、昨27日午後保護された、という報を聞いた時は、とにかく無事に生きていてよかったと、まるで親戚のような気持ちだった。この2年間、彼女の名前と写真は埼玉のローカル・ニュースで何度も目にしてきたからである。
ただし、彼女が保護されてからの報道は名前も写真も出さず、「埼玉県朝霞市の女子中学生」としか言っていない。これまでビラやネットで名前と写真を公開して大々的に情報提供を呼びかけてきたのだから、今さら匿名に切り替えてもあまり意味はなさそうにも思われるが、しかし、それでもそうしなければならない理由があることは私にも察することができた。
「アパートに閉じ込められていたのなら、壁をたたいて隣人から警察に通報してもらうこともできたはずだ」「男と外出する機会もあったのなら、街でいくらでも助けを求めることができたはずだ」「本当は最初は家出だったのに、あとから男との関係がこじれたので、連れ去られたという狂言を思いついたのではないか」─。案の定というべきか、予想を裏切らず、そういう馬鹿なことを言う者たちがネットには湧いて出てきたのである。16年前の新潟の事件の時もそんな感じだった。
ちょっとだけ想像力をはたらかせてみれば分かることだろう。街なかで、大学生風の男と中高生風の少女の2人連れの、少女のほうから「助けてください。わたしはこの男に監禁されてるんです!」と訴えかけられたら、あなたはその話を真に受けるだろうか。状況判断に迷うあなたの前で、男のほうが頭をかいて苦笑いしながら「すいません、こいつ、機嫌が悪くなるとすぐこういうこと言うんですよ。ほら、もうよせ、帰るぞ」と少女の手を引っ張っていけば、あなたはくだらない痴話喧嘩だとしか思わないはずだ。そもそも“監禁されている少女”が男とともに外を出歩くわけがない、という考えもはたらくだろう。あなたは直後にスマートフォンを取り出し、この“ちょっと変わった出来事”をTwitterのネタにしたりするはずだ。そして、少女にしてみれば、脱出の試みが失敗に終わって男のアパートに連れ戻されたあとが怖い。
逃げようと思えば逃げられたはずだ、などと軽々しく言ってはいけない。監禁から逃れるのは実は容易ではないし、脱出するためには確実に成功する機を慎重にうかがって適切な手段を選ばなければならない。これは大人でも大変なことで、ましてや13歳から監禁されている15歳の少女にとっては極めて難しいことだ。
その点、本件の少女は実に賢明だった。男の隙を見て、小銭と生徒手帳を手に公衆電話へ走るという行動は、見事な正解だった。今どきは公衆電話の使い方を知らない子供が多いとも聞くが、彼女の場合は、中学生にケータイを持たせるのは早いという親の方針によりテレカを持たされていたため、公衆電話を使うのはもともと想定の範囲内だったらしい。彼女から電話を受けた両親も、連絡が来たときのシミュレーションは日頃からできていたようで、動転せずに的確な指示を彼女に与えることができた。本人も家族もしっかりしていたのだ。彼女を貶めて喜んでいる馬鹿どもは恥を知るがいい。
世の中は馬鹿が多いから、もはやここでも名前を出せなくなってしまったけれど、****さん、無事に帰ってこられて本当によかった。2年間の空白を埋めるのは簡単ではないだろうし、馬鹿どもに嫌な思いをさせられることもあるだろうが、賢明なるあなたとあなたの家族ならきっと取り戻せる。
同じ埼玉県民であること以外にあなたとは何のつながりもない私が、今後のあなたの力になれることはないだろうが、強いていえば、この2年ですっかり覚えてしまったあなたの名前を、これから忘れてゆくことが、あなたへのささやかな支援になるのかな、などと思っていたりする。まあ、これもなかなか難しそうだが。