私は維新の会を支持するものではなく、どちらかといえば真ん中よりやや不支持寄りといった感じなのであるが、少なくとも水着撮影会騒動に関して埼玉県議会で述べられた意見を見ると、維新は共産党に比べればはるかにまともな人権意識を持っていると評価できる。いや、共産党なんかと比較することは大変失礼かもしれないが。

さて、ここで取り上げられている新聞記事(「埼玉新聞」4日付2面「中止『迷惑かけた』 県議会委 水着撮影会で管理者」)に書かれている、定例県議会で3日に開かれた県土都市整備委員会で各会派の委員が述べた意見を見てみると、おもしろいことに気づく。すなわち、自民党と維新という、世間的には保守だの右派だのと言われる政党の議員のほうが、表現の自由を尊重し人権の重みを理解した発言をしているという点である。リベラルあるいは左派に類すると思われる民主フォーラムの議員なんぞ、「嫌と言えないモデルや、お金を払っているからと過激な要求をする撮影者もいるだろう。個人的には[水着撮影会を]県の施設でやらなくてもと思う」などと、単なる個人の想像に基づき、好き嫌いで表現規制を語ることしかしていないので、まるで話にならない。県議会は、会社の給湯室の世間話をする場ではない。

私が以前から言ってきたことがここにもはっきりと表れている。つまり、日本でリベラルや左派を標榜する者たちは、実際にはちっともリベラルでも左派でもない。むしろ保守や右派といわれる勢力がリベラルや左派の思考も含んでいるのである。日本でリベラルとか左派とか称されるものを、私がいつも「似非リベラル」と呼んでいるのは、そういうことだ。似非リベラルは、実質においてリベラルでもなく保守でもなく、左派でも右派でもなく、反国家的かつ反国民的な勢力にすぎない。

そんな似非リベラルの中でも、特に群を抜いてひどいのが共産党だ。何せ法治主義も民主的手続きもあったものではなく、自分たちの気に入らないものを政治権力・影響力でつぶしてゆくことをはばからない、恐怖政治指向の政党である。このたびの水着撮影会騒動はそのことを明確に示している。