水着撮影会をつぶす共産党の言う「県民一人ひとりに寄り添うあたたかい県政」とは
相変わらず、寝言は寝て言えの案件である。明日は埼玉県知事選告示日なので、今日のうちに出しておく。
20日告示、8月6日投票の埼玉県知事選挙では、柴岡ゆうま氏の政策を一人でも多くの県民に届け、#県民一人ひとりに寄り添うあたたかい県政 をともにつくっていこうと訴えていきます‼️#日本共産党#生きることをはげます#学ぶことをあきらめない#子育て応援タウンを#地産地消で活気ある街に pic.twitter.com/cKAlrjRIKp
— 日本共産党埼玉県委員会 (@jcpsaitama) July 17, 2023
共産党埼玉県委が「県民一人ひとりに寄り添うあたたかい県政」と言うところの「県民一人ひとり」には、例えば水着撮影会の関係者などは含まれないのであろう。単に自分たちの好き嫌いで人間をラベリングし、気に入る人間にのみ人権を認め、気に入らない者たちを政治権力・影響力を濫用してつぶしてゆく独裁的かつ強権的なスタイルを、水着撮影会騒動であらわにしてみせた共産党のくせに「県民一人ひとりに寄り添うあたたかい県政」などとは、全くもって噴飯物である。自分たちで言っていて恥ずかしくないのか。
なぜお前は水着撮影会なんかにそんなにこだわるのか、あんなイベントがなくなったからといって困る人はほとんどいないだろう、と笑う方がまだいるかもしれない。これは極めて重要なことだから改めて言っておく。表現の自由などこのたびの騒動で危機にさらされた国民の諸権利は、憲法で保障されている基本的人権であり、民主政治の根幹をなすものであって、決して軽視されるべきではない。これは意見の相違や政策の違いという以前の段階、民主政治の根本の話だ。水着撮影会がなくなったからといって困る人はいないという言いぐさは、共産党がなくなったからといって困る人はいないと言うのと変わらない。水着撮影会を共産党が政治権力・影響力でつぶしてかまわないなら、共産党を国家や与党が超法規的に弾圧することも全く問題ないことになってしまう。居酒屋談義の冗談でそんな話を交わすぐらいならまだしも、曲がりなりにも公党や議員という立場で政治・行政の場に持ち出してよい話ではない。そして、それを実際にやらかしてしまった上、何の総括もしていないのが、このたびの共産党の体たらくだ。時間がたったら忘れてよいというものではない。
こんな基本的な道理もわきまえていない集団が「県民一人ひとりに寄り添うあたたかい県政」などと口にするとは、冗談にしてもつまらなすぎるし、そもそもそんな者らに民主政治を語る資格などない。共産党員は全員、中学校の公民の授業を受け直してくるべきである。
まあ、実際のところ共産党がなくなっても困る人なんかいないし、共産党なんて百害あって一利なしとまでは言わないまでも一利ぐらいしかないから、共産党なんぞつぶしてかまわないのは事実である。けれども、国家や与党が超法規的に弾圧していいはずがなく、あくまでも選挙という民主的手続きによって政治の舞台から排除する形をとらなければならないのだ。