昨日のNHK大河ドラマ「光る君へ」第8回「招かれざる者」では、予告動画から、源倫子が藤原道長に贈る和歌をまひろ(紫式部)が代筆させられるかも、という読みをあらかじめしていたのですけれども、それはありませんでした。果たして次回以降にあるかないか──。あるとすれば、あの「ちはやぶる神の斎垣も‥‥」へのアクロバティックな返歌ということになりますね。

最近ちょっと思い出したことがあります。高校の古文の先生が言っていたことです。『源氏物語』が平安貴族の女性たちに絶大な人気となったのは、光源氏というキャラは契った女性を決して捨てないからだ、末摘花ですら捨てたりしないからだ、と。やたらと女性に手を出して飽きたら捨てる、取っ替え引っ替え、というのではなかったわけです。高校時代には、何かといえば枕が浮くほど泣く奴というぐらいにしか思っていなかった光源氏ですが、今思えば甲斐性のある男ですね。美貌と富さえあれば誰でもあんなふうにできるというものではなく、少なくとも私には無理なことです。やたら泣くのは、あの時代の貴族の感覚としては日頃のしぐさのひとつでしかなかったのでしょうし。

そうしてみると「光る君へ」は、紫式部が『源氏物語』を書くことになった背景によく想像力をはたらかせている脚本だと思います。あの小説は、上級貴族から庶民までの生活を見知っていて、決して平穏ではない人生を送ってきた人でないと書けない、空想だけではカバーできない要素のある作品ですからね。

さて、今回は後半になって、藤原兼家が怨霊にとりつかれ床に伏せてまで道兼を打擲したのなんのという話が出てきました。一体どういう目的で道兼は子供の頃から父の虐待を受けてきたなどと大ボラを吹いているのか、私にはさっぱり分からなかったのですが、ところが終わり近くになってからの兼家のワンカット──台詞もなくただ横になったままの兼家の目がしっかり語ってくれましたね。ああ、なるほど、すべては道兼が花山天皇に接近することができるようにするための、兼家の策略でしたか。そのことに気づいた時、改めて本作の脚本の恐ろしいほどの巧妙さに驚嘆しました。道兼が花山天皇をそそのかすことになる今後の史実に、とてもうまく導く筋書きです。

もしかして、兼家は安倍晴明とも口裏を合わせていたのでは。そういえば、兼家がたおれてからやって来た晴明が、3兄弟を外に追いやって兼家と二人だけになった時間がありましたよね。いやはや全く、何と油断も隙もない脚本なのでしょうか。