土佐光起「紫式部」

昨夜の「光る君へ」第54回「春の夜の夢」では、赤痢から快復した藤原実資が翌年、まひろ(紫式部)に和歌を贈るというまさかの展開となり、意表を突きすぎていてさすがにびっくりしました。前回、藤原宣孝が病気見舞いに贈った枕絵が変な効果を発してしまったわけですよ。実資は「鼻くそのような女との縁談あり」とか日記に書いていたくせにねぇ。 X(Twitter)ではリアルタイムで「#黒光る君へ」がトレンドに上がっていまして、視聴者はみんな私と同じく大いに動揺していたことと思います。

何となく前年の日記を読み返していた実資が「鼻くそのような女」の箇所を読み、そこに挟んだままにしてあった例の枕絵を改めて見てしまったために、彼のスケベ心に火がついたわけですが、このあたりの逸話は彼の日記すなわち『小右記』に書かれていることを題材にしたものであろうと思われます。

『小右記』の永延2年3月12日(西暦988年4月1日)の記録によると──

道長君語指鹿為馬之故事、而以聞之想起鹿女、遣馬文。

藤原道長が『史記』の「指鹿為馬」の故事のことを語るの聞いていた実資が、前年の病気療養中のことを思い出して〈鹿みたいな女〉に〈馬にあてるべき手紙〉を送ることにした、ということらしいです。「指鹿為馬」といえば、まひろ(紫式部)が幼い頃に父から聞き、三郎(道長)に話して「三郎の馬鹿!」と怒っていたことがありますから、そこから『小右記』につないできたのが今回の脚本というわけですね。

実資がまひろに贈った和歌ですけれども、彼の字は読みやすいので私も簡単に判読できました。

その子はたち櫛にながるる黒髪のみだれぬ春はいかに咲くらむ

本作において道長の和歌はすべて『古今和歌集』からの本歌取りまたはパクリでしたが、実資はより深い学識の持ち主であるというところを脚本的には表現したかったのか、ここは何と与謝野晶子の本歌取りときました。確かに実資であれば、当時まだ無名だった与謝野晶子の短歌を知っていたとしても、特に不思議ではありません。

これに対しまひろも負けてはいませんでした。ただちに返した和歌が──

その妻になれよなどただ盃のひとつもなしに言はむものかは

口説く気があるなら酒の一杯ぐらいおごりなさいよと、身の程をわきまえず強気なこの返しは、言うまでもなく俵万智氏の本歌取りです。まひろのほうが実資よりさらに先を行っていたわけですね。

さて、歴史上の紫式部が本格的に実資と接点を持つのは、こののち十数年を経て宮仕えするようになってからのことですが、今回は前哨戦といったところでしょうか。