昨日のNHK大河ドラマ「光る君へ」第17回「うつろい」では、都で猛威を振るう疫病がついに公卿たちにも感染し始める段となりました。

この疫病、ドラマではいろいろ面倒な事情があるためかインフルエンザのようなものに差し替えられていますが、史実では知っての通り天然痘です。平安京はたびたび疫病(天然痘、麻疹、インフルエンザなどなど)に見舞われましたが、特にこの時すなわち994年から翌年にかけての天然痘の猛威はすさまじかったそうで、都の人口を半減させるほどだったらしく、道には死体だらけで、犬や烏が死肉を食い飽きていたくらいだといいます。疫病は大陸由来が船で九州に入りやがて東へ進んで都に至る、というのが奈良時代からの毎度のパターンであり、この時のものも同様だったそうです。

この疫病に関して関白の藤原道隆は、疫病はほうっておけば治まる、今までもそうだった、そもそもあれは下々の者しかかからない、という姿勢でろくに対策を打とうとしません。もっとも、仮に対策するにしても、当時は疫病とは疫神が小鬼をばらまいて悪さをしているものという認識でしかありませんでしたから、やれることといえば加持祈祷ぐらいしかないわけで、やったところで疫病に効果があるものでもないでしょう。いずれにせよせいぜい改元したくらいで都の疫病蔓延を放置していた道隆ですが、自身はといえば飲水の病すなわち糖尿病の悪化によりやがて最期を迎えることに。

病床の道隆が口にした、妻の高階貴子(儀同三司母)から結婚前の交際期に贈られた和歌は「百人一首」にも収められていますね。

忘れじのゆくすゑまでは難ければけふを限りの命ともがな
わたしへの思いは変わらないと言ってくれるあなたの心が、将来まで変わらないことを求めるのは難しいから、愛されている今日で尽きるわたしの命だったらいいのに。

恐らくは道隆が「忘れじ」という趣旨の和歌を後朝によこしてきたのに対する返歌だったのでしょう。これ、掛詞やら歌枕やらといった技巧は一切なしの、平安中期にしては珍しく直球の恋歌です。こんなのをよこしてこられたら、男はひとたまりもなかったでしょうな。道隆が亡くなる寸前でこの和歌を持ち出してくるという流れ、いつも通りのすごい脚本ですよね。

さて、歴史の流れとしてはこれから藤原道兼が関白の座に就くことになりますが、彼の命も長くは続きません。次回あたり、彼は最期にどんな言葉を藤原道長に残すのでしょうか。