実話にしては壮絶すぎる逸話はさすがに切られた模様
昨夜のNHK大河ドラマ「光る君へ」第28回「一帝二后」で描かれた「二后」とは、歴史上の藤原定子と藤原彰子の二后であると同時に、藤原道長に関しての源倫子とまひろ(紫式部)の2人を暗示するものともいえますし、また道長がたおれた時の倫子と源明子のバチバチのことでもあるようでしたね。
あ、そうそう、第1回放送の時からずっといつか言おう言おうと思っていたことですけど、平安貴族の親は基本的に子供を自分自身で抱いたりしません。そういうのはすべて乳母がやります。本作における平安貴族は上級から下級までやたらと赤ん坊を抱きすぎです。
さて、前回入内した彰子が今回は中宮になりましたけれども、相変わらずボーッとした女の子です(笑)。史実の彰子は結構したたかに立ち回る政界の姫ですから、本作においてもあんなふうにボーッとしたままではなくどこかの時点で大化けする展開になると思われます。恐らくは、今のところ何も趣味や興味のない彼女が、たまたま物語を読む機会があってのめり込み、そこで性格も明るくなったところへ、定子を失った一条天皇との関係も好転するという流れになるのではないでしょうか。その時にこそ、赤染衛門が彰子に教え込んできた閨房の心得も役に立つのでしょう(笑)
定子といえば、死去がずいぶんあっさりとした形になっていたので、私はかなり拍子抜けしました。ここ、皇女を産んだあと後産が下りず座産の姿勢のまま息を引き取った定子の遺体を、兄の藤原伊周が抱きしめて号泣するという、結構壮絶な話が伝えられているのですが、ドラマでは描かれませんでした。
定子の辞世が残っているのは、今回見て初めて知りました。
夜もすがら契りしことを忘れずは恋ひむ涙の色ぞゆかしき
辞世は3首残されていて、その一つがこれだそうです。『後拾遺集』の詞書によれば、定子の亡くなったあと、帳台に結びつけられていた文が見つかったとのことで、ドラマではその通りになっていました。となると、座産の姿勢のまま亡くなったことになっている定子が、辞世3首を文にしたためて帳台に結びつけたとはどういうことなのよ、という疑問が──。
座産の姿勢のまま云々というのはフィクションだという判断での今回の脚本なのでしょうな。実話にしては壮絶すぎますので。