昨夜はNHK大河ドラマ「光る君へ」第29回「母として」が放映されました。本作の各回のタイトルには複数の意味が込められている場合が多いですが、今回はかなりたくさんの意味がかかっていました。

「母」とは、藤原賢子のシングルマザーとなったまひろ(紫式部)、一条天皇を産み育ててきた女院詮子、藤原道長の子供たちを育てている嫡妻の源倫子、そして一条天皇に舞を誉められた息子に目を細める源明子であり、さらに、何たることか敦康親王の養母となった中宮彰子です。養母といっても、この時の彰子って数え13歳だそうですから、今でいったら小6か中1あたりの子供ですよ。むしろ歳の離れた姉弟といったほうが自然なのでは。

というわけで、今回は〈母たちの戦い〉の回として仕上がった脚本なのだと思います。母といってもタイプはそれぞれではあるものの、やはり子を思うという一点は誰もみな同じなのだなとも感じました。

さて、そんな母たちの中、特に見どころとなったのは、病床に伏せる詮子ではないでしょうか。

詮子については、薬を飲むよう勧められても断ったという逸話を聞きかじったことがあります。さんざん加持祈祷をしても効きめがないのだから、この上は薬を飲んでも意味がない、という趣旨のことを言ったそうで。当時としては、病気は鬼やら呪詛やらによるものなので、薬なんかより加持祈祷がはるかに効果的という意識だったのですな。

ところが、今回は詮子が薬を飲まないということに全く別の意味を与える描きかたがされました。「わたしは、薬は、飲まないの」─。薬を飲ませようとする道長に、詮子が息も絶え絶えにそう言い返した時、視聴者はみなピンときたはずです。そう、彼女の父、藤原兼家が陰謀によって円融天皇に毒を持っていたことを。ああ、何という長い長い伏線回収!

本作の脚本には毎度毎度、感服するばかりです。参りました。

ところで、脱線というか最後におまけの話。真宗門徒の中には「神祇不拝」という言葉を軽々しく使って神社参拝などをあれこれ言う向きがよくいますけど、そういうのって本当に薄っぺらいから、じっくり自分のありようと向き合ってみたほうがいいですよ。ウイルスや細菌などの知識が全くなくて病気が鬼や怨霊のしわざだと信じられていた時代に「神祇不拝」を言うのと、現代のあなたが言う「神祇不拝」とでは、言葉の重さがまるで比べものにならないどころかそもそも意味が全く違いますから。