私は毎年この日すなわち8月15日に「真宗門徒が世界平和を願うということ」というテーマの文章を公開しているが、それは奇しくも7年前のこの日に法友が亡くなったことがきっかけだ。今年はこの日に合わせて、広く彼と縁のある面々の追悼文を集めて文集を出すという企画があり、私を含め周辺の3人のうちから2人寄稿してもらえないかと打診があったのは、昨年11月のことであった。その際、私に何か書けるだろうかと数日考えてみたのだけれど、どう考えてみても、企画の趣旨に合わない不穏当な文章しか私の頭には浮かばなそうな気がしたので、私は引くことにして残る2人に寄稿を頼み委ねた。何とも業の深い人間だ。

このたびここに書くのは、その「企画の趣旨に合わない不穏当な文章」である。

その法友は、16年前に設立された〈真宗大谷派・9条の会〉なるものに名を連ねていた。私は同会絡みで聞こえてくる話がいちいち気に入らなかったため、その不満を彼にぶつけたことがある。その時の彼はこう答えてくれた:「待っててください。ぼくが中から変えますから」─。

〈真宗大谷派・9条の会〉のふざけたありさまを、彼が内側から変えてくれることがかなわないままに亡くなってしまったことは、まことに残念としか言いようがない。

──のであるが、そもそもの話として〈真宗大谷派・9条の会〉が今も存続しているのかいないのかが不明である。設立当初は丁寧に作り込まれた公式サイトがあったものの、すぐに更新されなくなり、やがていつの間にか消えてしまった。お寺などの関係からも同会に関する話はまるで私の耳に入ってこない。SNSのアカウントがあるわけでもない。

〈真宗大谷派・9条の会〉が設立された当初から私は、あんな勘違い集団なんぞさっさと消滅してしまえと毒づいていたので、さっさと消滅してくれたのならそれはそれでかまわない。ただそれにしたって、宗門の公式団体ではないにせよ宗門の名を冠した護憲活動を仰々しく旗揚げしておきながら、ほんの数年で影がなくなるとは、あまりにもみっともない話ではないか。平和を守る俺たちは意識が高くてかっこいい、などとミーハー根性で酒に酔った勢いで始めたりするからそうなるのだ。

ネットなどで大っぴらに情報発信はしていないが、会員たちは今でも地道に活動を続けている、というたぐいの指摘は必要ない。少数の仲間だけで集まって井戸端会議をやるのみで、対外的に何も発信しないような集まりであれば〈真宗大谷派・9条の会〉なんて名称は大きすぎるから、まずはその看板を下ろすべきだ。「今は少数の集まりだけれど、やがて護憲の輪を広げて大きな力にしてゆこうという願いが──」などと言うのであれば、なぜ大きな力にしてゆくための対外的な情報発信すら怠るのか。あるいは「ネットで発信するとウヨクからヒボーチューショーが──」などと抜かすかもしれないが、自分たちは言いたいことを言うけれど言われるのは嫌だとかそんなどこぞの都知事選落選者みたいな薄っぺらさで〈真宗大谷派・9条の会〉なんてものをぶち上げるのは、それこそ器に合わないというものである。もうこれは、居酒屋の個室で数人が集まって幼稚な夢を語り合っている〈9条愛好会〉でしかなく、はたから見ればただの笑いものだ。まあ、それもこれも、もし同会が存続しているならの話にすぎないが。

話は戻って、かつて私が〈真宗大谷派・9条の会〉に対して抱いていた不満について述べよう。端的に言うと、彼らには〈真宗大谷派門徒ならわれわれの会に賛同するのが当然だ。それが本願念仏に生きる証しだ。われわれこそが宗門の未来を担っているのだ〉という明らかな勘違いと傲慢さがあった。経典の言葉を自分たちに都合よくもてあそび、お念仏の幟旗を揚げて陶酔しているせいで、自分たちではすっかり分からなくなっているようだが、言っていることは〈われわれの政治信条に異を唱える者は真宗門徒ではない〉という意味である。一体どこのカルト教団であろうか。少なくとも私が聞かせていただいてきた御仏の教え、親鸞聖人の教えとは相容れない。そんな連中から真宗門徒ではないと言われるのであれば大いに結構、むしろ誇らしく思うくらいだ。

真宗教団連合「法語カレンダー」の今月の言葉は「私たちの人生の争いは いつも善と善との争いだ」とある。まさに〈真宗大谷派・9条の会〉に名を連ねている人たちの好きそうな言葉だ。「戦争とは正義と正義の戦いなのです」のような。そんな浄土真宗の教科書的な法語を舌先に転がしながら、しかし彼らは〈9条という善、9条という正義〉を振りかざし、自分たちが〈平和の敵〉のレッテルを貼った者たちと争う己の姿を、省みることなど一秒もない。