日本文学の金字塔、ついに起筆
NHK大河ドラマ「光る君へ」は、昨夜の第31回「月の下で」において新たなステージに移りました。まひろ(紫式部)がついに、のちに『源氏物語』と呼ばれることになる物語を起筆したのです。好きな短編を書いて仲間内だけで楽しんでいた同人作家が、当時とても高価だった紙(今の価値でいうと1枚が1、2万円とか)を大量に用意してくれるスポンサーを得て、執筆依頼に基づき確かな目的を持って長編小説を書く職業作家へと生まれ変わりました。
序盤でまず出てきた、あかね(和泉式部)による『枕草子』評が良かったと私は思います。「艶かしさがないのよ。『枕草子』は気が利いてはいるけれど、人肌の温もりがないでしょ。だから胸に食い込んでこないのよ。巧みだなぁと思うだけで」─。よく言われるように『枕草子』は「をかし」の文学であり、ウィットに富んだおしゃれなエッセイ集として大当たりした作品ですから、情念というものからは対極にあります。ですから、あかねの評は的確といえます。
ついでながら、その時にあかねが披露した和歌も有名なものですね。
黒髪のみだれも知らずうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき
『枕草子』には艶かしさがないと評したあとに、この艶かしい歌を持ってくるという脚本、実に見事です。
あかねとのやりとりののち、まひろは清少納言とのやりとりを回想します。『枕草子』は皇后定子との華やかな思い出を清少納言がしたためたものであり、陰の部分は全く出てきません。何せあれは、定子が亡くなる直前の心温まるエピソードまでしっかり書いていながら、定子の死そのものについては一行も書いておらず、徹底して定子の光の部分だけを書き連ねた書物です。それに対して、まひろは『枕草子』には陰がないという違和感をどこかに抱き続けてきました。あかねの「人肌の温もりがない」という言葉が、そこで何かの化学反応を起こしたようです。
そのあと藤原道長から一条天皇とその周辺の人々の「生身のおすがた」を聞き取ったまひろは、人とは何かということを考え詰めてゆくことになります。そうしてついに、まさしく物語が〈降ってくる〉様子が視覚的な演出で描写されました。
いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。
こうして始まる『源氏物語』冒頭箇所は、高校時代の古文で暗記させられたものですけれども、今こうして「光る君へ」の文脈の中で改めて読み返してみますと、確かに一条天皇の心をえぐる一節、あかねの言葉でいえば「胸に食い込んで」くる一節でしょう。定子のきらびやかな思い出だけがあふれる『枕草子』とは違って、内裏のドロドロした人間模様を書き付けたような『源氏物語』は、フィクションでありながらもエッセイより生々しく現実を描いた作品として一条天皇に迫りくるものだった、という筋書きは、史実がどうかはともかく、ドラマとしてよく出来ていると思います。私は今までこういう形で『源氏物語』の意味をとらえたことがなかったので、なるほどそうくるかと感心しました。
さて、美しい夢ばかり見ていたいのが人というもので、そこに現実をまざまざと見せられてもにわかには受け容れられないものです。恐らく次回は、一条天皇がまひろの書いた物語を疎むところから始まるのではないかと。