昨夜のNHK大河ドラマ「光る君へ」第35回「中宮の涙」においては、前回の第34回「目覚め」で文字通り大人として目覚めた中宮彰子が、思いを一条天皇にぶつけるという締めがありました。予告で使われていた場面なので分かってはいましたけど、まさかのいきなりのあのド直球にはびっくりしましたよ。

ああいうのは平安時代のセオリーとしては、色付きのカワイイ紙に恋歌をしたためて贈るという、かつて本作初期に藤原詮子が円融天皇に対してとったような方法が普通でしょう。真っ昼間に、そばに女房たちも控えている中で、帝に面と向かって泣きながら大声で「主上、お慕いしております!」って──。そりゃあ一条天皇としても呆気にとられつつ「また来る」と言い残して去るのが精いっぱいというものです。藤式部(紫式部)も目を丸くしていましたし。まあ、恐らく現代の恋愛ドラマふうの要素をあえてぶっ込んでみるという、脚本家としては思い切った冒険をしてみたところなのでしょう。

さて、今のところ出番は少ないもののしっかりポイントを押さえているあかね(和泉式部)が、今回は恋仲にあった敦道親王を亡くした直後というタイミングで登場しました。一応補足説明をしておきますと、和泉式部はまず橘道貞という人と結婚し、「大江山いくのの道の‥‥」で有名な小式部内侍を産み、その後は為尊親王とのものすごい身分差恋愛に燃え、彼が病死したあとはその弟の敦道親王に言い寄られてまた大恋愛をするという、恋に生きた女です。今回はその敦道親王が亡くなった直後だったわけです。

今回も『和泉式部日記』からの和歌が引かれていました。

ものをのみ乱れてぞ思ふたれにかはいまは嘆かむむばたまのすぢ
[和泉式部]

ドラマでは三句を「たれかには」と言っていましたが、検索してみたところ文献では「たれにかは」です。もしかしたら「たれかには」としているものもあるのかもしれませんが、「-かは」は強い反語なので「たれかには」にすると微妙にニュアンスが変わる気がします。

あかねの歌を聞いた藤式部は、敦道親王との思い出を書き残してみてはどうかと彼女に勧めます。はい、『和泉式部日記』爆誕という次第。このドラマの脚本では、清少納言が『枕草子』を書いたのも、和泉式部が『和泉式部日記』を書いたのも、藤式部の助言によるものとしたわけです。ちなみに『和泉式部日記』の内容は結構セクシーな風味なので、高校の古文で題材にすると生徒の食いつきがよろしいのではないかと。

ドラマではあかねの次に、藤式部の弟である藤原惟規の恋の場面が出てきました。この男、かなりヤバい所に踏み込んでしまいましたよ。前回、神の斎垣を越えるかもなどと言っていましたが、本当に越えてしまいました。相手は斎院宮に仕える女房で、『紫式部日記』に「中将の君」と記されています。なお、ドラマでは惟規が身柄を拘束されて歌を詠んだら解放されたと言っていましたが、実際は解放されてその礼に詠んだのがあの歌だったようです。知らなかったので検索してみました。

神垣は木の丸殿にあらねども名のりをせねば人咎めけり
[藤原惟規]

藤式部が即座にこき下ろしていた通りで大して良い歌とも思えませんが、惟規が言っていたように天智天皇の本歌取りなので教養を示す効果はありました。これも一応検索してみました。

朝倉や木の丸殿にわがをれば名のりをしつつ行くは誰が子ぞ
[天智天皇]

このくらいの古歌なら丸暗記していますよ、というのは素性の怪しい者ではないことを示すのに大事なことなのですよね、ああいう場合。

身分違いの大恋愛に身も心も燃えるあかね、そして神の斎垣を越える禁じられた恋に挑む惟規ときて、そこからの中宮彰子の大人の大勝負というのが今回の流れです。先にも書いたようにあのド直球にはびっくりしましたが、唐突ながらあの驚愕の場面を持ってくるための流れが、今回は練られていたように思いました。