昨夜のNHK大河ドラマ「光る君へ」第36回「待ち望まれた日」では、タイトルの通り藤原道長にとっては待ち望んでいた、そして藤原伊周にとっては呪い続けていた、中宮彰子の懐妊と出産をめぐる話が展開しました。彰子が漢文を習いたいと言い始めたりして、次回以降はいよいよ藤壺サロンがにぎわい始めることでしょう。藤式部(紫式部)や赤染衛門だけでなく、あかね(和泉式部)や伊勢大輔も加わることになります。

彰子の養子として育てられた敦康親王は、敦成親王が生まれたあとに立場が揺るぎ、これにより藤原道長と彰子の対立が発生することになりますが、その布石となる場面も早々に挿入されました。このあたりはかつての藤原兼家と女御詮子(女院)の父娘の確執に似た要素もあるように思われるので、今後そういう描きかたをするかもしれません。

敦成親王の誕生ののち、折々に詠まれた和歌がありました。どれも知らなかったので検索して確認してみました。

まず、藤式部が月をながめつつ詠んだ一首──

めづらしき光さしそふさかづきはもちながらこそ千代もめぐらめ
[紫式部]

ただし、実際はドラマのように独り言っぽく詠んだのではなく、祝宴で詠んだ歌だそうです。「さかづき」は「杯」に「月」を掛け、「もち」は「持ち」に「望(月)」を掛けています。状況が異なりますから、ドラマで藤式部自身が語ったような意味とは実際はやや違います。

話は進みまして、敦成親王の五十日いかの儀、そしてそのあとの祝宴です。無礼講で大騒ぎとなり、男たちの乱痴気騒ぎにビビる女房たち、そんな中で例の有名な「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ」(『紫式部日記』)の様子も。ドラマでいえば「このあたりに若紫はおいでかなぁ。若紫のように美しい媛はおらぬなぁ」とやって来た酔っ払いの藤原公任に、藤式部が「ここには光る君のような殿がおられませぬ。ゆえに若紫もおりませぬ」(今ここにいるのは酔っ払いの馬鹿男どもだけですよ)とキレ気味に返したわけですが、これは実話です。あ、そうそう、藤原顕光が几帳を壊していたのも実話だそうです。あのボンクラ右大臣、ほんとに馬鹿だわ。

と、そこで、藤式部が道長からいきなり「何ぞ歌を詠め」と振られて、詠んでみせた一首──

いかにいかが数へやるべき八千歳やちとせのあまり久しき君が御代をば
[紫式部]

なお、こういう場で和歌を詠む場合、今回のようにつぶやきっぽく詠むのではなく、ちゃんと朗詠するものですよ。きっと実際はそうしたはずです。「いかに」は「如何に」に「五十日に」を掛けています。この歌における「君」は敦成親王を指していますが、道長をも指しているかもしれません。あまりに見事に詠んでみせたもので、他の女房が「用意してあったのよ」と陰口を言っていましたけど、まあ、藤式部ぐらいの立場の女房であれば歌を詠めと言われるのは予想されることではあるので、実際に用意してあったとしても不思議ではないし普通のことでしょう。ドラマでの藤式部は本当にいきなり無茶振りされた感じではありましたが。

それよりもびっくりしたのが、即座に道長が返歌を詠んでみせたこと、しかもそれが実話だということです。

あしたづの齢しあらば君が代の千歳の数もかぞへとりてむ
[藤原道長]

この歌は何がすごいかというと、紫式部の歌が「五十日」「八千歳」という数字や時間を入れたのを受けて、「千歳」という年数に「あしたづ」(鶴、つまり千年)を持ってきた、というところであるのはもちろんですが、それに加えて、そもそもあの和歌ド下手の道長が当意即妙にこんな返歌ができたというのがびっくりなのです。

実話としてもびっくりなのですから、ドラマの中では当然みんなびっくりするわけですよ。そして、源倫子と赤染衛門に不穏な疑惑を抱かせるに至り──次回予告、という終わりかたでした。何だこの昼ドラは(笑)