昨夜のNHK大河ドラマ「光る君へ」第38回「まぶしき闇」は、しょっぱなに藤式部(紫式部)が清少納言から『源氏物語』への恨み言を聞かされ、最後は藤原道長が藤原伊周により呪詛されていたことが明らかにされ、藤式部と道長が目を合わせつつ終わるという構成でありました。今や栄華を極めつつある藤原北家本流と、没落一方の中関白家の、越えられない壁があります。華やかな道長たちの陰に没落した者たちの怨嗟があるということで、今回タイトルの「まぶしき闇」なのだと思いますし、また、きらびやかな光だった皇后定子が闇になっているということでもあるでしょうね。

伊周が鬼の形相で「何もかも、お前のせいだ」と道長に向かって叫んだ時には、恐らく視聴者みんなが「いやいや、自業自得だろうが。お前と弟と親戚のせいだろ」と思ったことでしょう。史実においても本作においてもそうですが、そもそも伊周の没落のきっかけとなった(少なくともきっかけを道長に与えた)のは、弟の藤原隆家のやらかしであり(長徳の変)、また叔母の高階光子が首謀となった今回の呪詛ですからね。それを、ひたすら道長を怨み続けるって、まるで煽り運転みたいなキ印といっていいでしょう。

中宮彰子の藤壺サロンには和泉式部(あかね)も加わり、いっそう華やいできました。和泉式部は当時「浮かれ女」(尻軽女)などと陰口を言われていまして、道長もそんなふうに言っていたのですが、彼女の和歌の才は道長を含め多くが認めるところでした。ドラマでは和泉式部がちょっと藤原頼通に色目を使うふうな場面も出てきまして、あの恋多き女ならそんなことがあっても不思議ではありませんが、実際そういう話は伝わっていないみたいなので、本作オリジナルの要素だと思います。

かねてより藤式部から、敦道親王との思い出を書いてみてはと勧められていた和泉式部、それを書き上げたようです。ついに『和泉式部日記』の誕生です。前にも述べましたが『和泉式部日記』は結構ムフフな内容なので、高校で古文の教材にすると生徒たちの食いつきがいいと思いますよ。何てったって、カーセックスが記録された日本最古(あるいは世界最古?)の文献だったりしますからね。

本当ですってば。

‥‥しひてゐておはしまして、御車ながら人も見ぬ車宿りに引き立てて、入らせたまひぬれば、おそろしく思ふ。人しづまりてぞおはしまして、御車にたてまつりて、よろづのことをのたまはせ契る。心えぬ宿直のをのこどもぞめぐり歩く。例の右近の尉、この童とぞ近くさぶらふ。
[『和泉式部日記』]
[敦道親王さまは、いとこさまの屋敷へ方違えにいらっしゃる際、私はそんな場違いな所へ参るのは嫌だと申し上げたのに]無理やり一緒にお連れになり、御車に私を乗せたまま人目につかない車庫へ引き立てさせ、車中に置き去りにしてしまわれるので、残された私は恐ろしく思う。屋敷の人々が寝静まった頃に宮さまはお越しになり、御車に乗られ、あれこれのことをお話しになり、私たちは一つになった。事情を知らない夜間警備の男たちが周りを歩き回っている。いつも通り、右近の尉が童とともに近くに控えている。

敦道親王、ひでえ男だなって感じですが、変なスリルを楽しんでいる感じの和泉式部もなかなかの変態ですな。