11日、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)がノーベル平和賞を受賞することが発表されたとの報道に続き、やたらと胸糞悪くなる話がアッチのほうからポロポロと届いてきた。

卑怯もいいところである。いつものことながら、あいつらも少しは恥というものを知るべきではないのかと思うのだが、恥を知らないから共産党なのだろう。もはや共産党に改心を求めることは無駄だと分かっているので、それ以外の世の大多数の良識ある人々のために事実確認だけしておきたい。

すでに X (Twitter) のコミュニティノートなどにより瞬殺のツッコミが殺到している通りであるが、そもそも共産党がどの口で言うのかという話である。ある程度以上の年代の人々であれば、言われずとも知っている話だろう。細かいことはおのおの調べてみれば簡単に分かるので、ここではざっくりした流れだけを示す。

もともと反核運動の全国組織として原水爆禁止日本協議会(原水協)というのがあって、今もある。ところが、この原水協で「いかなる国の核実験にも反対」という文言を使おうとしたら、組織内の共産党系勢力が「社会主義国の核兵器は侵略防止のためのもので容認すべき」などと強硬に主張し始めた。俗に「ソ連の核はきれいな核、アメリカの核は汚い核」と表現されるアレである。この対立から共産党系の横暴に嫌気がさし、原水協を離脱した人々により新たに結成された組織の一つが被団協、すなわちこのたびのノーベル平和賞受賞者だ。

このような経緯を踏まえてみると、ノーベル平和賞が決まったとたんにまるで昔からの仲良しのように被団協に擦り寄る共産党の厚顔無恥ぶりは、嫌悪感を催すばかりのものである。受賞するのが原水協ではなく被団協であることの意味を、共産党は少しぐらい考えてみたらどうなのか。まあ、どうせ考えられないとは思うし、考えられないから共産党なのだろう。

被爆者や親族の感想としてはこうなるのが当然だろう。共産党や関係団体はいつでもどんな問題についてもそうなのだが、弱者に寄り添う味方のふりをして、弱者を政治利用することしか考えていない。本当に毎度毎度すべてがそうで、うんざりする。いいかげんにしてくれ。