昨夜のNHK大河ドラマ「光る君へ」第40回「君を置きて」は、まず『源氏物語』朗読会の様子がありましたけど、不義密通の話に和泉式部と赤染衛門がノリノリになるのはおもしろかったですね。現代に通じるような妖艶な歌を詠む和泉式部と、古今調の正統派の恋歌を詠む赤染衛門は、キャラとしてはまるで異なるのですが、実際あんなふうに仲が良かったのではないかと思わせてくれる場面でした。恋多き女と、夫婦仲はいいけど不倫ドラマが好きな主婦、みたいな。

そして今回は──いやぁ、中宮彰子がキレましたねぇ。今回の見どころがあれであろうことは予想していましたから、キターッという感じでした。怒りというより悔しさが出ていたように思います。入内した頃は「仰せのままに」しか言わないボーッとした人で、公卿たちからも陰で馬鹿にされていた彰子ですが、精神的な成長は著しく、今や父親にして左大臣の藤原道長に対してもはっきり物を言うようになりました。

彰子が藤式部(紫式部)に向かって絞り出すように「何ゆえ女は政に関われぬのだ?」と発した問いは、せっせと藤式部から漢籍を教わり政治を学んでいる彼女ならではの悔しさの表れであり、もちろんこれからの彼女のさらなる変貌の予兆となるものです。のちには藤原実資から「賢后」と評価される人となってゆくわけですよ。

さて、病を得て心ならずも敦成親王を東宮に立てることにした一条天皇、快復することなく若くして崩御します。辞世は悲しく美しいものでした。

露の身の風の宿りに君を置きて塵を出でぬることぞ悲しき
[一条天皇]

検索してみたところ出典は『権記』ですが、異なるテクストもあるようです。

  • 秋風の露の宿りに君をおきて塵をいでぬることぞ悲しき(『新古今集』)
  • 露の身の仮の宿りに君を置きて家を出でぬることぞ悲しき(『栄花物語』)

異本があるのは古典あるあるですね。どうしてこういうことが起きるかというと──

  • 特に和歌の場合、詠んだ本人が書いていなくて、聞いた人があとから書き留めているので、記憶違いや聞き違い、または伝聞での間違いなどがある。
  • 著作物の同一性保持などという概念がない時代なので、書写・転記する人が自分の趣味で勝手に改変してしまうことがある。

──といったところですかね。