道長は揺らぎ、彰子は立ち上がる
一昨日のNHK大河ドラマ「光る君へ」第41回「揺らぎ」では、そのタイトルの通り、権力の頂点に立つ藤原道長の立場が揺らぐ場面がいくつか描かれました。とはいえ、彼はこの先も力を固めてゆくのが史実でして、自分の思いのままに政を進めようとする三条天皇が時の権力者により追い払われるという円融天皇と似た道をたどるのも史実ですので、「この世をばわが世とぞ思ふ‥‥」に向けて道長はまだまだ突き進みます。
一方、中宮彰子がのちに大政治家となる片鱗も見えました。かつて「仰せのままに」しか言わなかった彼女が、今回はついに「この先も父上の意のままになりとうはない」とまで言うようになり、藤式部(紫式部)の入れ知恵で弟たちを集めて派閥作りを始めましたからね。
ところで、今回は和歌が4首出てきましたが、いずれも私の知らないものでした。
見るままに露ぞこぼるるおくれにし心も知らぬ撫子の花
[中宮彰子]
これは中宮彰子が一条天皇崩御を嘆いて詠んだものです。
残り3首は、中宮彰子に女房たちが和歌を披露する場面で出てきました。ただ、実際にはああいう場で詠まれたのではなく、それぞれの作品から流用したようです。
たれにかは告げにやるべきもみぢ葉を思ふばかりに見むひともがな
[赤染衛門]
なにばかり心づくしにながめねど見しに暮れぬる秋の月かげ
[藤式部]
憂きことも恋しきことも秋の夜の月には見ゆる心地こそすれ
[和泉式部]
藤式部の歌については、実際は亡夫の藤原宣孝の浮気に対する恨み言として詠まれたものだそうですので、もっと前の時期の作ですし趣旨も違います。
さて、この場面ににわかに乱入してきたのが清少納言でした。史実の紫式部は清少納言をディスっていることがよく知られていますが、本ドラマでは両人が若い頃から良好な関係でこれまでやってきたので、どう折り合いをつけるのかと思っていたら、ついに今回はその時となりました。
清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。かく、人に異ならむと思ひ好める人は、かならず見劣りし、行末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらむ。
[『紫式部日記』]
ボロクソです(笑)