昨夜放送されたNHK大河ドラマ「光る君へ」第43回「輝きののちに」──今回は伏線を敷きまくりの回でしたね。

次回出てくるかどうか分かりませんが、三条天皇の和歌が「百人一首」に採られています。

心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな
[三条院]

「百人一首」には三条の名で収められているので、譲位後の余生の中で詠んだ歌なのだろうとてっきり私は思い込んでいましたが、改めて確認したところ、藤原道長の圧力に屈して譲位を決意した夜に月を眺めて詠んだものだそうです。しかしですよ、ドラマにもあったようにほとんど失明に近い状態だった三条天皇に、果たして「夜半の月」が見えたのかどうかは疑わしい、と私は思ってしまいます。

藤原行成が太宰府への赴任を希望していたところ、目の治療のため太宰府に行きたいと言った藤原隆家が太宰権帥に任ぜられました。ドラマでは隆家が、まだ何も成していないうちに政から身を引くわけにはいかないから、何としても目の治療をしてから復帰するのだ、という趣旨のことを言っていましたけど、まさに隆家は太宰府赴任中に日本の危機を救う大ごとを成すことになります。

さて、この隆家の一行に同行して太宰府へ行く貴族の中に、武者の双寿丸が仕える主人もいるため、双寿丸も藤原賢子を都に置いて去るわけですが、当然のことながら彼もまた歴史の一大イベントに関わることになるのは明白です。彼が武功を立てるかたおれるかは分かりませんし、武功を立てたとしても都には帰らず九州に居着くことになるのではないかという気がしますので、賢子にとっては青春の幻影なのでしょう。賢子の初恋は実らないままとなるようですが、ドラマで藤式部(紫式部)が言っていたように、藤式部が越えられなかった壁をやすやすと越えてゆく娘に今後なってゆくわけです。