望月の欠けたることもなきのちは欠けゆくのみの夜々とこそ知れ
昨夜のNHK大河ドラマ「光る君へ」第44回「望月の夜」は──はい、来ましたね、ついに。
この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば
藤原道長のこの恐らく日本史上最も有名な駄歌は、勅撰和歌集などに収められてはおらず、藤原実資の日記『小右記』に記録されていることで現在まで伝えられています。ほかに誰も記録していないのは、きっと誰もが内心どうでもいい駄歌だと思ったからでしょう。それを実資があえて日記に書き留めたのは、ドラマにもあったように、道長から返歌を求められた彼が、返歌する代わりに一同で唱和することを提案した、という経緯ゆえのことだと思います。
さて、この望月の和歌を本作ではどう料理するのか、というのが今回の見どころでした。ドラマを通じて一番の見どころでもあったかもしれません。
この和歌が詠まれたのは、一家三后の祝いの宴でのことでした。すなわち、藤原彰子が太皇太后(前々天皇の后)、藤原妍子が皇太后(前天皇の后)、藤原威子が中宮(現天皇の后、時が来れば皇后に)となり、3つの后の位を道長の娘が占めた時です。しかし、この3人の后、今や政治の要としての風格を備えるようになった彰子は別としても、三条天皇の形ばかりの后にさせられ宴の日々を送る失意の妍子と、9つ年下の10歳の後一条天皇に入内させられた19歳の威子。妍子が「父上と兄上以外、めでたいと思っておる者はおりませぬ」と道長をにらんで言いはなったのがまさにそのままです。
祝宴も、敦成親王の五十日の儀の折のようなどんちゃん騒ぎとはまるで違い、ずいぶんとおとなしいものとなっていました。そんな中で、道長がいささか寂しげなトーンで「この世をば‥‥」と詠むのです。
ここには2つの意味が込められていると私は思いました。
1つは、道長と藤式部(紫式部)とを折々につないできた満月というアイテムが、ここにある意味の円成を見せたということです。ドラマでは先に道長が政に向ける思いなどを藤式部に示しており、道長が和歌を詠んだ時にひとり藤式部だけは感動のまなざしを見せていました。
2つには、左大臣と摂政を辞して太閤となった道長の、今がまさに最高の時であり、満月はこれから欠けてゆくものだということです。そもそも摂関政治というのは、娘を天皇に入内させて自分が外戚(天皇の義父)となることで権勢を振るうという形のものですが、妍子は内親王しか産んでいませんし、歴史を見れば威子も女子しか産みません。つまり、藤原頼通のあとが続かなくなります。
摂関家が力を失い、代わって上皇が天皇を操る院政へと移り、上皇の警固に取り立てられた武士たちが力を持つようになって、平氏と源氏の時代へ、というのが歴史の流れです。