昨日放送のNHK大河ドラマ「光る君へ」最終回(第48回)「物語の先に」には、告知されていた通り菅原孝標女がちぐさの名で登場しました。期待していた猫の逸話は出ませんでしたが。

ちょい役とはいえ、菅原孝標女がテレビドラマや映画に登場するのは恐らく史上初であり、画期的であったといえます。設定は1027年なので、帰京して間もない10代半ばの時期ではなく、数え二十歳となりますね。仲の良かった継母が父との不仲からか家を出ていってしまい、大好きだった乳人が亡くなり、書を手本にさせてもらっていた藤原行成の娘が亡くなり、姉が亡くなり、遺された姪2人を引き取って育てて──と、10代半ばから後半にかけて現実のつらさを味わい続けた裏返しですっかり物語オタクになっていた彼女の、二十歳時点の姿があれです。物語の世界に浸って幸せそうな笑顔の裏には、いろいろとあったのですよ、彼女も。

さて、今回とてもうまいと感じた部分は、藤原道長が亡くなる時の描きかたでした。朝、道長の手を取ってその冷たさを覚え、「殿」とひと声かけて深々と一礼する源倫子。家で墨を擦り筆を取った時に「まひろ」と呼ぶ道長の声を風に聞く藤式部(紫式部)。奇しくも同じ日に自宅でたおれた行成。静かに涙を流す女院彰子たち。『小右記』に「禅室入滅」そして「按察大納言行成卿俄薨」と書き記す藤原実資。見事です。我々が単に歴史としてしか見ない事象に、その時代を生きた人たちと記録した人の思いが込められた、すばらしい脚本と演出でした。

そして、道長と行成を偲ぶ藤原公任と藤原斉信の和歌のやりとり──

見し人のなくなりゆくを聞くままにいとど深山ぞさびしかりける
[藤原公任]

正直、公任にしては珍しい、技巧もなにもなく思いをまっすぐそのまま詠んだ感じの歌だと思いました。知らない歌でしたが、『栄花物語』に収められている一首だそうです。

それに対して返し──

消えのこる頭の雪をはらひつつさびしき山を思ひやるかな
[藤原斉信]

「頭の雪」(あるいは霜)といえば古典の常套手段で白髪のこと、老いらくのことですが、ここで「消えのこる頭の雪」といったら、道長や行成が亡くなって生き残されている身のこと、そして、出家した公任に対比してまだ髪を残している身のこと、と解することができます。この歌も『栄花物語』所収だそうです。

最終回としての終わりかたも、とてもかっこよかったですね。にわかに双寿丸が颯爽と再登場し、東国へ戦の鎮圧に向かうとのこと。それを見送る藤式部が一言、「嵐が来るわ」─。これ、第1回の冒頭での安倍晴明の台詞「雨だ。大雨だ」と対になっているわけです。彼女の言う「嵐」が何を意味するのかはよく分かりませんが(前九年の役とかはまだずっとあとですし) [追記あり]、双寿丸の姿の中に武家の世へ移る未来を感じたということかもしれません。

ところで、一昨年と昨年の大河ドラマの最終回では、次作への〈橋渡し〉が挿入されていました。「鎌倉殿の13人」最終回には「どうする家康」主役の松本潤がそのまま徳川家康役で出ましたし、「どうする家康」最終回には「鎌倉殿の13人」主役の小栗旬が天海役でサプライズ出演し、その手には『吾妻鏡』と『源氏物語』を持っているという細かい演出がなされました。となると「光る君へ」最終回にもそういうのがあるだろうかと、ちょっと期待していましたが、いやいやさすがに平安時代の貴族社会から江戸時代の町人社会につなぐのは無理だったようです。

──と思ったら、そのあとにちょいと来ましたね。「光る君へ紀行」で『源氏物語』の写本が出てきて、それから江戸時代の木版印刷の普及板や錦絵、そして『湖月抄』なども紹介されて──からの次作「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」予告へつなぐという技、思わずニヤリとしましたよ。蔦屋重三郎って、詳しいことは知りませんが、本や浮世絵を売って大儲けした人ですよね。第1回冒頭で『源氏物語』絡みの本や絵がチラリと見えたりしたらおもしろいかも。