SEALDsは人間を見下している
先日取り上げた「この国では子供の学費のために自分の内臓を売る母親がいるらしい」という件は、SEALDsが当該ツイートを削除し謝罪するという形で丸く収めたつもりでいるらしいのだが、こんなものを受けて「はいそうですか」と終わりにするほど大人は甘くない。どうもあのガキどもは世間をなめすぎているようだ。
ところで、あの演説は臓器売買に絡む部分が派手にツッコミを入れやすかったため、そこが主な祭りネタになってしまったのだけれど、実はほかにもっと大きな問題がある。
当該演説の動画はまだ公開されたままだから、それを改めて見てみよう。あるいは当該ツイートのキャッシュを誰かが取ってくれているので、それを参照してもいい。
この演説者は明らかに人間を見下している。全体を通してそれがにじみ出ている。“不幸でかわいそうな人たち”を切り売りしているのである。
例えば、キャバ嬢なんてのは食うに困ってやむを得ずそんな卑しい仕事をしているかわいそうな人たちだ、というようなまなざしがひしひしと感じられる。もしキャバ嬢がこの演説を聞いたら「世間知らずのガキが生意気なこと言ってんじゃないよ」とブチキレるか、あるいは鼻を鳴らして一笑に付してその場を去るか、どちらかではあるまいか。
SEALDsのメンバーがこういうふうに人間を侮辱するのは珍しいことではない。よく知られた例としてはこういうのがある:
しょせんバイラルというやつなので記事の書き方に不正確な部分はあるが、取り上げられている発言は実際にあったものだ。自衛隊なんてのは勉強したくてもできなかったりほかに就職先の決まらないかわいそうな人たちがやむを得ず行く所だ、とSEALDsの彼らは考えているのである。
話を戻そう。今月18日の例のふざけた演説、世間を小馬鹿にしたような演説について、主要メディアはどう報じたかというと、例えばこんな調子だ:
「終わってるなら、始めましょう!」。学生団体「SEALDs(シールズ)」のメンバーで国際基督教大4年の***さん(21)がステージの上で叫ぶと、東京・渋谷のハチ公前広場を埋めた人たちから大きな歓声がわいた。「法制が成立しても、抗議が終わったわけではない」という思いを込めた。
SEALDsについて、新聞やテレビはイカニモな部分をうまく切り取りきれいに仕立てて報道するから、実際の状況を観察しないとあの集団の性質は分からない、と私が前から言っているのはこういうことなのである。よく言われるように彼らはネットを活用しているので、ネットを通じて見れば(少なくとも新聞やテレビに比べて)素に近い様子をうかがうことができる。上記のような記事を読んだだけのあなたは、この演説者のことを礼賛する気持ちになったかもしれないが、実際の演説を視聴すれば、実は彼は貧困問題等をネタにあなたや世間を小馬鹿にしているだけなのだということが、一発で分かるのである。もっとも、演説者本人にその自覚がないのが問題なのだけれど。
若気の至り、ということはある。馬鹿なことを言ったりやったりするのは若者の特権だ。私も二十歳の頃は傲慢そのものだった。しかし、大人が、いくら自分の主義主張に好都合だからといって、馬鹿をやっている若者を美化し祭り上げて利用するのは無責任すぎる。馬鹿なことをやる若者に対して、自分の若かりし頃のようだと内心ちょっとほほ笑ましく思いながらも「馬鹿者!」と言ってやるのが大人の責任ではないのか。彼の演説の根底に、彼が“かわいそうな人たち”と考える層や職業に対する侮辱意識があることを、はっきり指摘するチシキジンが一人も出てこないのはどういうことか。
彼は人間を見下している。自分がセーギに酔うために、いろいろな“かわいそうな人たち”を切り売りしている。自分ではあたかもキング牧師ばりの感動的な演説を披露したつもりで、内輪で拍手喝采されるとますます勘違いしてしまうだろうが、外から見るとこんな演説は低劣そのものだ。さらに身も蓋もないことを言ってしまえば、この演説内容は安保法制問題と全く関係がない。
これがSEALDsである。