テクスト: 浅田次郎『ブラック オア ホワイト』 東京、新潮社、2017年。初刊は同社、2015年。

〔2017年12月23日(土)読了〕

主人公と久しぶりに会った旧友が、30年以上も前のバブル時代に商社マンであった頃にスイスのホテルで見た夢の話を語り始める。白い枕で眠ると素敵な夢を見て、黒い枕で眠ると悪い夢を見た、と。そしてさらに、その後のいくつかの時代に見てきた、白い枕と黒い枕の夢を。

私は小説に出てくる夢というのが嫌いだ。なぜなら、それらはほぼ間違いなく、作者の手抜きのために使われているからである。登場人物に過去を回想させる代わりに過去の出来事を夢に見させ、それをもって読者への設定説明にするという、あのよくあるやり方は、作者の手抜きという以外の何ものでもあるまい。

けれども、本作における夢の扱い方は全く違う。夢はいかにも夢らしく突拍子もない展開を見せる。絶妙な夢の描き方だ。そして、それぞれの夢がいかにもその時代のその人物の見そうな夢なのである。白い枕の夢も、黒い枕の夢も。

やがて現実と夢の境が曖昧になっていった先に、読者は深い闇を見ることになる。戦前、戦中、戦後をたどってきた日本の姿、光と影、現実と夢──。栄光と低迷の繰り返しの中で、誰かが必ず手を汚してきた。そしてそれが表に出てくることはない。