あのぉ、予算も通したことだし、さっさと辞めてくれませんかね。「万全を期す」とか「真摯に謙虚に受け止め、猛省の上に信頼を回復するべく努めていく」とか、そういうのはもういいので。あなたが総理大臣になってから、日本はひたすら楽しくなくなってきています。この先あなたが何か良いことをする目処もありませんし。

夢の総理大臣の座に着いてすでに半年、もう満足でしょう。さっさと鳥取に帰って、駅前に銅像でも建ててもらったりしながら穏やかな余生を過ごしたらどうですか。

変な臭いのする団体が、変な臭いのする声明を発表したみたいですよ。

私たちは3月31日、全日本仏教連盟に対し、死装束の襟を左前にする慣習を廃するよう要請しました。 ─(略)─ 死者の襟を女性の洋装と同じ左前にすることは、女性の社会的存在の否定につながります。このような古来の因習が男女共同参画推進の障害となり、時代に逆行する男尊女卑思想を復活させるおそれがあるという問題を、かねてより私たちは繰り返し指摘してきました。このようなことがまるで顧みられることなく、21世紀の現代においてもなお死装束の左前が続けられているのは、ゆゆしき状況であると言わざるを得ません。
和装の襟を左前(死装束)にした女性

ちょっと言っていることがよく分かりませんが、ある種の人たちはいつもそんな感じだから無理に分からなくてもいいような気もしますけど、死装束の襟を左前にするのは女性差別だという主張のようです。

これ、もし仮に、生者と死者を区別する記号のごときものは仏教の観点から廃止すべきだ、という趣旨ならば、まだ少しは分からなくもないのですよ。清め塩を使うのをやめますみたいなのと同じ感じで。しかし、死者の襟を女性の洋装と同じにするのはけしからんって、おい──。

先日ちょいと見たテレビで、「どんぐりころころ」の歌詞を「あゝ人生に涙あり」(往年のテレビドラマ「水戸黄門」の主題歌)のメロディで歌うことができる、という雑学ネタが披露されていました。しかし、これって雑学でもなんでもなく、「どんぐりころころ」も「あゝ人生に涙あり」も七五調の歌詞なので当然のことであり、七五調の歌はすべて該当します。○○の歌詞を◇◇のメロディで歌えるよ的なネタは、もっとイレギュラーな字数の歌でなければちっともおもしろくありません。

ところで、七五調といえばわれわれ真宗門徒にはおなじみのものがありますよね。そう、「和讃」です。あれは親鸞聖人が、当時はやっていた今様という七五調の形式に教えの言葉を乗せて、誰もが口ずさみやすい歌を作ってくださったものなのです。ですから、「和讃」は「どんぐりころころ」や「あゝ人生に涙あり」のメロディで歌うことができます。

ということで、勤行の最中に思い出してニヤニヤしてください。

ゼンショーはようやく事の重大さをちょっと理解したようです。

そもそも客に提供された味噌汁にネズミの死骸が浮かんでいたという事件からして、一発で全店一時閉店すべき事態だったにもかかわらず、〈特殊なケース〉として客にごめんなさいするだけで終わらせて2カ月も公表してこなかったというのが、あまりにもふざけすぎていましたけど、そんなことがあってすぐに今度はゴキブリですとさ。

前から思っていますが、すき家ってどこの店舗も人手が足りていない上に従業員研修もまともにできていない感じですし、今回は事の重大さをいくらか理解したとはいえ結局は上から下に向けて説教して終わるのでは。会社として根本的におかしいということに気づかないのでしょうかねぇ。

NHK大河ドラマ「べらぼう」第12回「俄なる『明月余情』」(23日放送)に出てきた、朋誠堂喜三二(平沢常富)による序があまりにもかっこよかったので、テキストで確認しようと思ったのですがネットでは見当たりません。

が、とりあえず原本の画像は国立国会図書館にありました。

とりなくあづま華街いろざとに、速戯にはかもてあそぶことハ、いん明和めいわのはじめ、祇園ぎをんばやし雀躍すずめをどりなどそのきざし

──とそのあとは読めない箇所が多いので飛ばしますが、最後は、

ひとわれとをへだてぬをもて、にはか文字もんじ調とヽのはんべり。あにそれむべならずや。

という具合。ドラマに出てきたのは、原文を半分ぐらいに短く編集したものだったようです。

江戸期の戯作などは高校の古文の授業なんかではまずやらないので、こういうのがポンポン出てくる「べらぼう」はとても新鮮です。粋でさぁねぇ。