行儀の悪い自転車が多いことに辟易しているドライバーの一人としては、自転車や歩行者の過失がちゃんと認定された判決が出たのは良いことだな、と見出しを見て思いつつ本文を読んでみたところ、この記事の何がたまげたかって、この段落──

児童側は判決を不服として控訴したが、大阪地裁で行われた控訴審でも「児童と男性の過失割合は100対0」と認定された。児童側は上告している。
[「産経ニュース」]

何と、児童側(実際は親でしょう)が上告しているというのです。過失割合が90対10とされ自分の過失が10あるとされたことを不服とした男性(運転手)が上告している、というのではありません。簡裁でも地裁でも100対0と認定された100の側が上告しているのです。

明らかに100の非が自分にある(刑事でも民事や保険関係でも明らかに100対0と認定されるであろうケース)にもかかわらず逆ギレする馬鹿がいるというのは、交通トラブルのあるあるですけど、こんなのが控訴のみならず上告なんて呆れます。裁判を受けるのは国民の権利とはいえ、これは三審制の無駄遣いでしょう。

そもそも今は自転車保険への加入が国内ほとんどの地域(本件の大阪府を含む)で義務化されており、当然この児童(の保護者)も自転車保険に加入しているはずなので、さっさと保険金の手続きをして賠償してしまえば済む話だと思います。一体何が気に入らなくて高裁まで引っ張っているのでしょうか。もしかして、無保険自転車で相手がフェラーリか何かだというのなら、まあ、せいぜい頑張ってください。

昨夜のNHK大河ドラマ「光る君へ」第44回「望月の夜」は──はい、来ましたね、ついに。

この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば
[藤原道長]

藤原道長のこの恐らく日本史上最も有名な駄歌は、勅撰和歌集などに収められてはおらず、藤原実資の日記『小右記』に記録されていることで現在まで伝えられています。ほかに誰も記録していないのは、きっと誰もが内心どうでもいい駄歌だと思ったからでしょう。それを実資があえて日記に書き留めたのは、ドラマにもあったように、道長から返歌を求められた彼が、返歌する代わりに一同で唱和することを提案した、という経緯ゆえのことだと思います。

さて、この望月の和歌を本作ではどう料理するのか、というのが今回の見どころでした。ドラマを通じて一番の見どころでもあったかもしれません。

この和歌が詠まれたのは、一家三后の祝いの宴でのことでした。すなわち、藤原彰子が太皇太后(前々天皇の后)、藤原妍子が皇太后(前天皇の后)、藤原威子が中宮(現天皇の后、時が来れば皇后に)となり、3つの后の位を道長の娘が占めた時です。しかし、この3人の后、今や政治の要としての風格を備えるようになった彰子は別としても、三条天皇の形ばかりの后にさせられ宴の日々を送る失意の妍子と、9つ年下の10歳の後一条天皇に入内させられた19歳の威子。妍子が「父上と兄上以外、めでたいと思っておる者はおりませぬ」と道長をにらんで言いはなったのがまさにそのままです。

祝宴も、敦成親王の五十日の儀の折のようなどんちゃん騒ぎとはまるで違い、ずいぶんとおとなしいものとなっていました。そんな中で、道長がいささか寂しげなトーンで「この世をば‥‥」と詠むのです。

ここには2つの意味が込められていると私は思いました。

1つは、道長と藤式部(紫式部)とを折々につないできた満月というアイテムが、ここにある意味の円成を見せたということです。ドラマでは先に道長が政に向ける思いなどを藤式部に示しており、道長が和歌を詠んだ時にひとり藤式部だけは感動のまなざしを見せていました。

2つには、左大臣と摂政を辞して太閤となった道長の、今がまさに最高の時であり、満月はこれから欠けてゆくものだということです。そもそも摂関政治というのは、娘を天皇に入内させて自分が外戚(天皇の義父)となることで権勢を振るうという形のものですが、妍子は内親王しか産んでいませんし、歴史を見れば威子も女子しか産みません。つまり、藤原頼通のあとが続かなくなります。

摂関家が力を失い、代わって上皇が天皇を操る院政へと移り、上皇の警固に取り立てられた武士たちが力を持つようになって、平氏と源氏の時代へ、というのが歴史の流れです。

私は昔から、メルカリを利用している人たちのことが不思議でたまらないのですよ。あんなものを通じて素性の知れない赤の他人と売買するとか怖くないのですかね。

こういうトラブルの際のメルカリの対応は、〈利用者同士のいざこざに弊社は関与しません。文句があるなら警察に届けてくれれば弊社も捜査には協力しますよ〉というものです。それはそれで基本的に正しいですし、利用者もそれを理解した上で使うもの(私は理解しているので使いません)なのですが、利用者の大概がそういう意識を持っているはずもなく、運営に文句を言えば何とかしてもらえると思っているようです。現に、このような事態であればさっさと警察に相談すべきであるにもかかわらず、(事後ではなく)先に悠長に X (Twitter) に投稿したりするのが、メルカリ利用者の発想。

まあ、今回は割と派手に炎上したので、リスクの周知にも多少は寄与したかもしれませんね。

読んだ感じだと、「マナー違反」というよりは、神社仏閣やそこでの諸行事(宗教行為)への敬意と謹みをわきまえていない〈人としての育ちの悪さ〉の問題かと思います。先日、外国人観光客が神社の鳥居で懸垂をして世界じゅうから大批判を浴びていましたが、あれと同類項の馬鹿が、インバウンドがどうこうと言う以前にそもそも日本人の中にウジャウジャいるということです。

育ちの悪い人間が本当に増えました。礼儀作法といったものとは別の意味で。

三原じゅん子氏はまだましなほうだ、と思ってしまう時が来るとは想像もできませんでした。

いいかげんにしろ。石破内閣は日本を崩壊させる前にすみやかに退陣しろ。現内閣が何かするたびに国益が損なわれてゆくので、何もしないままさっさと終われ。

石破内閣なんかが岸田内閣末期よりも高い支持率を維持していることが、不思議でなりません。国民の28.7%もが支持しているとは、何かの間違いではないでしょうか。単純に言って、道行く人の4人に1人以上が支持しているということですよ。さらに、2人に1人が石破総理は辞任しなくていいとまで考えているなんて。

上記記事によると、石破内閣支持率は28.7%であるのに加え、自民党支持率は20.0%であり、いわゆる青木率はあっさり50を下回っています。世論調査は社によってまちまちですが、こういう計算での指標となるのは時事通信のものと考えてよいので、石破政権は継続不可であると判定すべきでしょう。