まさしく先日私が書いた通りのことを、在日ウクライナ人のナザレンコ・アンドリー氏が述べている:

“自分の命が最も大切だ”という教育に対しては異論がないし、アメリカの占領しか受けたことがなく“降伏すれば犠牲者は出ない”と考えている日本人には分かりにくいことかもしれないが、歴史を振り返れば決してそうではない。ウクライナの場合、ソ連の一部だった時代には『ホロドモール』という大虐殺によって数百万人〜1千万人以上(※諸説あり)の国民が餓死させられた。抵抗をやめてしまえば、待っているのは虐殺のみという時には、死ぬために戦うんじゃなくて、生きるために戦わざるを得ないということだと思う。

日本は、少なくとも史料で確認できる飛鳥時代から現代に至るまでの1400年以上にわたる歴史において、外国軍の占領統治を受けた体験が、太平洋戦争後のアメリカによるもの以外にはないという、まれな幸運に恵まれている国である。だから、日本人は〈降伏して占領される〉というのを、昨日までの敵から潤沢な支援をしてもらったり進駐軍からチョコレートをもらったりして平和で豊かな国を建設することであるかのように認識しがちだ。しかし、人類の歴史においてこういう例は決して普通のものではない。

もし日本を占領したのがアメリカ軍ではなく、ソ連軍だったら──。終戦前後の頃の満州、樺太、シベリアでの出来事をちょっとでも聞きかじったことのある人なら、想像するのはそう難しくはないだろう。そして、その頃のソ連軍の気風がそのまま今のロシア軍にも受け継がれているとまで言うつもりはないが、少なくとも、ロシアのトップに立つ独裁者に受け継がれていることは、彼が今ウクライナに対して何をやっているかを見れば明らかである。ウクライナ東部の親露派地域を守るための軍事行動であり、民間施設は攻撃しないなどと言った、その舌の根も乾かないうちに、ウクライナ各地に攻撃をしかけ、病院や学校を爆撃している。

一方的に侵略されても抵抗せずに降伏すれば、無駄な血を流さずに平和になるなどという言いぐさは、中学生ではあるまいし〈世界知らず〉にも程があるというものだ。人間がどれほど悲しい生き物であるかを少しは知るべきである。そして、現在進行中の出来事は決して遠い国の戦争ではなく、我々が国境を接している隣国がやっていること、我々の領土の一部を不法占拠し続けている隣国がやっていることだということも、改めて認識しなければならない。