牧原亮太郎監督『屍者の帝国』 日本、2015年

〔2015年10月5日(月)鑑賞〕

伊藤計劃3部作の映画化の完結篇となるべき作品だったのが、マングローブの破産のせいで、第1段に繰り上がってしまったものである。

3部作はいずれも実写での映像化が難しい内容であるから、やはりアニメという手法を採らざるを得ない。特に本作『屍者の帝国』は実写映画化がほぼ不可能と思われ、仮にあらゆる技術を駆使して実写化したとしても、それはそれでグロすぎて見るに耐えないものとなるだろう。

『虐殺器官』と『ハーモニー』は未来の物語であるが、『屍者の帝国』だけは19世紀を舞台としている。ただし、われわれの歴史にある19世紀ではなく、並行世界パラレル・ワールドの19世紀世界だ。つまり、本作はいわゆる歴史改変SFである。

19世紀、人間の死体を“意志を持たない人間のようなもの”として蘇らせる技術が開発・実用化されていた。その蘇った死体を本作では「屍者」と表現している。屍者は当初、軍事用に「屍者兵」として使われていたが、民間に転用されてからは、肉体労働はもちろんのこと馬車の御者からレストランの給仕に至るまで、ありとあらゆる労働を担うようになる。ロンドンの街は屍者であふれ、文明世界は屍者労働なくしては成り立たなくなっていた。

最初の屍者が作られたのは18世紀、ヴィクター・フランケンシュタインによってであった。意志・感情を持ち言葉を話す、あたかも人間のごとき屍者は、これまでにヴィクターの作った1体しかなく、それは「ザ・ワン」と呼ばれる(われわれがよく知るフランケンシュタインの怪物である)。主人公のワトソン博士は、ザ・ワンの技術が記されているという「ヴィクターの手記」を捜索する任務を与えられる。旅はイギリスからインド、アフガニスタン、日本、アメリカと続く。その先に待ちかまえる、究極の屍者技術の行き着く世界とは──。

従来のSFにおいてはロボットやコンピュータが果たしてきた役割を、伊藤は屍者に負わせた。“人間であって人間でないもの”を設定した。これが何を暗喩するからは言わずもがなであろう。そして、意志とは何か、魂のありかはということを考える際に、これほどうまくできた設定はない。

本作は、伊藤の哲学を見事に表現しているのに加えて、映像の質も高く評価できる。極端なことを言えば、難しい話がよく分からなくても映像を見ているだけで感嘆できるだろう。

推奨度: 90点(/100)