なかむらたかし、マイケル・アリアス (Michael Arias) 監督『ハーモニー』 日本、2015年

〔2015年11月13日(金)鑑賞〕

本作の題名は『ハーモニー』に添えて <harmony/> と記されるが、これは原作がetmlという架空のマークアップ言語(明らかにHTML/XMLの亜種)で記述されていることによる。この、ウェブ制作に関わる者でなければ原作を読んでも分かりにくい、しかし原作のテーマにおいて最重要となる要素を、映画ではどう表現するのかと思いきや、何と冒頭からそのまま出していた。分からない人にはさっぱり分からないのではないかと思う。

このように、本作は最初から“原作を読んだ人向け”に作られているようだ。実際、世界観についても原作に対する誤解は見られない一方、視聴者に対する解説は最低限にとどめられていて、“すでに基本的なことは分かっている人”でなければ理解は難しいだろう。

描かれているのは、21世紀半ばとおぼしき時代である。体にWatchMeという恒常的体内監視システムが埋め込まれ、そのデータは世界レベルで集約され、体内に異変があればそれに必要な薬剤が、メディケアという一家に一台の機材でただちに合成される。老病死は隠蔽され、人々は苦痛というものとは無縁で、優しさに満ちた社会の中で暮らしている。

しかし、かくも幸福の極みのような社会で、子供の自殺が増加していた。主人公のトァン、ミァハ、キアンの3人も少女時代に、そんな“自分の体が自分のものではない社会”からの逃避を試みる。そして、大人となったトァンはやはり逃避が可能となる職業に就いている。そんな世界である日、数千人が同時に自殺を図るという事件が勃発する。

今の世界がこのまま続けば、将来いずれ間違いなくこうなるしかない、“楽園の姿をした地獄”だ。食事をする時も、コンタクト・レンズ型のAR端末がいちいち「よく噛んで食べましょう」「低血糖に注意」などと視界にメッセージを表示してくれるような息苦しい世界なんて、私だってまっぴらである。だが、現実は確かにそういう方向に向かって進んでいる。『ハーモニー』に描かれるような世界に向かっている。

しかし、そんな世界を憎悪するミァハがついに求めた「ハーモニーの世界」の至上の幸福とは、『屍者の帝国』において「屍者」という形で表現されることになるものと同一ではあるまいか。

推奨度: 70点(/100)